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「急に具合が悪くなる」磯野真穂さんインタビュー 早世の哲学者・宮野真生子さんと全力投球で交わした末期の日々の言葉

文:篠原諄也 写真:斉藤順子

「急に具合が悪くなる可能性がある」

――お二人が出会ったきっかけを教えてください。

 2018年の9月15日に在野研究者の逆卷しとねさんが福岡で開いている「文芸共和国の会」のシンポジウムに呼ばれたのがきっかけでした。終わってすぐにお客さんとして来ていた宮野さんから「科学研究費(助成事業)の申し込みを一緒にやりませんか?」と話しかけられました。初対面だったので驚いたのを覚えています。宮野さんの専門の日本哲学についてもよく知らなかったですし、科研費の研究は、長期にわたるので「見ず知らずの私を信用していいんだろうか」と思いました。

 翌日から何の研究をするかについて繰り返しメールでやり取りをしました。その中で「病気におけるリスク管理」や「自然な身体」など、二人の問題意識が重なっていることが分かってきたので一緒に研究チームを組むことになりました。

――宮野さんのご病気については聞いていたのでしょうか?

 初対面のイベントの日の懇親会で「乳がんの手術をした」とは聞いていました。ただ宮野さんは「自分は大変な問題を抱えている」とは一切言わない人なんです。がんは今や治ることも多い病気ですし、また宮野さんが淡々と語るので、その雰囲気からも「治るんだろう」と思っていました。

――がんの病状が悪化して「急に具合が悪くなる」可能性があると言われたのはいつだったのでしょう?

 昨年の11月にメールで「病気の状況がちょっと変わってきていて、急に具合が悪くなるかもしれない」と言われました。私は「からだのシューレ」というイベントをずっと東京で開いていて、2月(今年の)に講師として宮野さんに来てもらうことになっていたのです。急に具合が悪くなった場合に、イベント自体をキャンセルする可能性が出るかもしれない。そういうことだったら、イベント自体をなしにしてほしいと連絡をいただきました。

――そのメールを受け取ってどう感じましたか?

 とても驚き、「急に具合が悪くなるかもしれない」と言われた私は、一体どうするべきなんだろうと考えました。でも「そうなる可能性=リスク」でしかないから、それをもとに「やめましょう」と言うのもおかしな話だと思いました。規模自体も30人くらいですし、もし本当に具合が悪くなってしまったら、インフルエンザにかかったことにしようと思って。何の根拠もないんですけど、多分大丈夫だと思い「開催しましょう」と返信しました。

「書簡の流れとライブ感を大事にしたい」

――その2月のイベントは無事に終わって、さらにいくつかのイベントをすることになったそうですね。

 4月に福岡・天神の「本のあるところajiro」(書店兼カフェ)さんで「ダイエット×恋」をテーマに二人のトークイベントをやりました。それが好評で、翌朝、名古屋の丸善で「哲学カフェ」開催している皆さんから類似のイベントを開くお誘いをもらい、それと時を同じくして、東京でも神楽坂モノガタリという書店でのイベントが決まりました。

 イベントが3つ連続でバーンと決まったので、「これはもう本にできるんじゃない?」と軽いノリで話したんです。すると宮野さんからは「書簡だったらお互いに大変じゃないと思うし、きちんとやればいいものができると思う」という提案がありました。宮野さんは偶然性を大切にしている方です。だから書簡についても「相手が投げる言葉との出会いによって次の言葉が生まれてくる。そういう流れとライブ感を大事にしたい」と話していました。私はその試みが面白いなと思ったんです。

 最初はイベントの内容に絡めて、ダイエットや恋、変身願望などをテーマにやり取りをする予定でした。ところが実際に始めてみると、一切こうした話題に話が流れることはなく、宮野さんの病気の話を中心に書簡が進みました。

――書簡は長く続けていく予定だったのでしょうか?

 宮野さんの状況を考えると「何年間もやっていこう」という話はとてもできないですよね。2月の時点で宮野さんは「2020年までに私は生きているのだろうか」と言っていました。書簡を交わす二人のうち、一人の著者が標準治療が見つからず、状態も悪化する中、ホスピスを探すよう勧められている。でも、とにかく1日でも遠くまで一緒にいこうと思っていました。

――当初は出版社も決まっていなかったんですよね。

 全然できていないうちに「書簡の企画です」と言われても編集者も困りますよね(笑)。書簡が7万字を超えたところで、以前から付き合いのあった編集者の江坂祐輔さんにツイッターで「ちょっと読んでほしい変わった原稿があるんですけど」と連絡しました。すぐ翌朝に原稿を読んで返信をくださって「最初は難しいと思ったけれど、内容を見たらこれは可能性があります」と返事をくださりました。

 偶発的な出会いとその後の互いの動きの掛け合わせと、対話の積み重ねによって、ともに世界を通り抜け先に進んでいく。その軌跡を本の中で「ライン」と呼んでいます。書簡のやりとりを通じて私たちが描いたラインを江坂さんが方向修正しようとせず、それが伸びゆく先に現れる世界の可能性に賭けてくださった。だからこそ、このような本が出来上がったと思っています。

――本の前半では医師が患者にリスクを伝えることについて、意見が交わされています。磯野さんはそれは個人の日々の生活のありようを一変させることがあり、その「確率の力と罪深さを思う」としています。

 私は臨床のフィールドワークをする中で、主観的には何の異常も感じない人たちがいかに病気のストーリーに巻き込まれるかを見てきました。医療者の方も熱心で「こういうリスクがあるから、患者教育をしなくちゃ」と、個々人の生活にある種「介入」していきます。もちろんそのような介入の意義は認めるのですが、予測されているようなリスク(事態)が本当に起こるかどうかは誰にも分からないし、そのリスクの提示で、リスクを提示された側の人生が一変する可能性があることはあまり考慮されていない気がします。

――個人的な話なんですが、最近母親が脳の手術をした時に、リスクを数値として提示されて選択するとはどういうことかを考えさせられました。脳動脈にコブがあって、手術をしないと破裂してくも膜下出血を起こす危険性が年々高まっていくと言われて。ただ、手術をした場合に重度の後遺症が残ったり死亡するリスクも、非常に低い数字としてではありますが示されるんですよね。

 私たちのあずかり知らないところで、疫学者が作った数式にのっとって確率が算出されて、それがあたかも「確かなこと」であるかのように、数字として私たちの前に提示される。私たちは並べられた数字を前にしてそこからどうするか「選びなさい」と言われる。でも、これは宮野さんも言っていますが、提示された選択肢のどれを選択しても、その後どうなるかは分からないんですよね。お母さまも手術をしなくても動脈瘤は破裂しないかもしれないし、もしかしたら手術をすることで数少ない後遺症や死亡のケースに当たってしまうかもしれない。実際にどうなるかは本当にわからない。

――磯野さんは宮野さんに出会ってがんに対する考え方が変わったそうですね。

 私の専門は医療人類学なので、がんの話を聞くこともあるのですが、周りにはがんになった人がいなかったんです。がんになることがどういうことか、情報としてのレベル以上のことはまったく知りませんでした。それもあって、もう少し冷静に捉えられる気がしていたんです。

 けれども、宮野さんは、本当に階段を転げ落ちるように具合が悪くなっていった。骨が痛くなって板書ができなかったり、呼吸困難になるような状況が生じても、治療の選択、生き方の選択をしなくてはならない。そのことにも衝撃を受けました。宮野さんは非常に優れた文章の書き手で、その書き手が全力でその力を解放し、自分がどういう状況にあるかを生々しく描きます。彼女からの手紙を受け取った時には本当に身動きが取れなくなることがありました。

――特にどの便の時にそう感じましたか?

 一番動けなくなったのは、第8便の返信を受け取った時でした。そこには「自分は死という無から逃れるために言葉を紡ぐ。自らの病を語ろうとする中で、そのおぞましいまでの力を感じる」と書かれていました。あまりの言葉の重みにたじろいでしまい、宮野さんの相手をするには私の生が浅すぎるのではないかと感じたほどです。

――本の中ではそんな言葉のやり取りを豪速球のキャッチボールに例えていました。

 相手が受け取れるのだろうかというレベルの言葉を全力で投げました。後半にいけばいくほどそれに拍車がかかって。宮野さんとしても「言葉が重すぎて、磯野は逃げるんじゃないか」という恐怖があったのではないかと思います。

 私も呼吸困難で寝ることもままならない宮野さんに向かって、ここまでの言葉を投げていいんだろうかという怖さが常にありました。でもお互いの信頼があるから、それを足がかりにして全力で投げる形になりました。

宮野さんと出会った偶然について

――宮野さんは7月1日に最後の10便を書き、7月22日にお亡くなりになられました。最後はどんな言葉を交わしましたか?

 電話をしたのが最後ですね。7月21日の夜8時半に私が電話をしています。途中号泣しながら「宮野ほど危ない人もいないけど、宮野ほど生きる理由がある人もいない」と話しました。

――宮野さんに出会った偶然について、どうお考えでしょうか?

 凄く難しい質問ですね。宮野さんと出会う前の数年間は、学問に対する信頼がガラガラと崩れ落ちるような出来事が続いていた時期でした。表面上は美しく、勇ましい言葉が溢れる一方で、それとは正反対と私には思える出来事を目撃することがなぜかしばしばありました。

 そのような中、「あなたとの信頼があるから、死なないことを約束する」と、それほどまでに自分を信頼してくれた研究者がいたという事実。その人と微塵の遠慮もなく、強固な信頼関係の中でまっすぐな言葉のやり取りができ、一つの作品が仕上がったということ。私にとって宮野さんとの出会いは学問に対する信頼を取り戻すプロセスでもありました。

 打算ではなく、それよりもう少し遠い先の未来を見て言葉をやり取りしようとするラインがそこにはあった。この経験を足場にし、自分の限られた生のその先に言葉を託せるような研究者になりたいと思っています。