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本の細胞から血、肉、体を設計する ブックデザイナー・佐藤亜沙美さんの「苦しんでいる人に届く本を」作る仕事

文:篠原諄也 写真:北原千絵美

デザインする上で「自分は不在」

――ブックデザインは本のどの部分をデザインするんでしょう?

 なかなか説明が難しいんですよね。親に何回説明しても「あなたは絵を描いているの?それとも文章を書いているの?」と言われて。どっちもできないんだっていう(笑)。

 私が独立する前に所属していた祖父江慎さんの事務所のコズフィッシュでは、基本的に本文設計(本文のレイアウト、文字の種類・サイズなど決める)まで含めたものをブックデザインとしていました。それに付随する表紙、カバー、帯のデザインをするということです。

 祖父江さんから「ガワ(外側)だけの見栄えをよくするのではなくて、骨格となる本文があってのブックデザイン」だと教わりました。まずノンブル(ページ番号)、本文、と小さいところから設計していって、細胞から肉になり骨になり、体ができていくようなイメージです。

――デザインをする時には自分を出さないようにしているそうですね。

 ノンブルという細胞から始まって、血や肉や体にあたる本文や表紙、カバーができてくるイメージなので、自分というものは不在になることが理想なんです。その細胞から仕上がった血肉、カバーへの必然性に命を懸けているような感じで。自分がどう介入するかはあまり気にしていないです。

 「私がこれをやりたい」と考え出すと、編集者や著者の意図から離れて、デザインがひとり歩きすることが多くて。なるべく自分は引いて、その作品の面白味を表に出したほうがデザインがよくなることが多いです。それが20年くらいの蓄積で思ってきたことでした。

――デザインのために作品を読むことは重要ですか?

 そうですね。可能な範囲で読みます。前著があったら前著も読んで、今回の作品がどういう位置付けになるのかを考える。前回と同じ流れを汲むのがよいのか、それとも全然違うイメージにするほうがよいのか。

 個人的にはビジュアル的な編集がちゃんとされていることが大事だなと思っていて。ブックデザインって、デザインというよりはビジュアルを編集する作業だと思います。本文を読んでどんな読者に届けるか。それをビジュアルで示す感じです。その編集が効いていると、自ずとデザインのピントが定まり、仕上がりもシャープになる気がします。その詰めが甘いと、茫洋とした、どこに届けたいのか分からない本になってしまう。

――毎回、読者をイメージするとのことですね。

 一冊一冊、対象にする読者がひとり決まってるんですよ。ビジュアル、年齢、性別などを頭に描いて、その人が手に取っているイメージをします。たとえば、ジェーン・スーさんの『これでもいいのだ』の場合は、金曜日の夜に疲れて書店に寄った女性とか。『完全版 韓国・フェミニズム・日本』は、男性が中心の社会の中で、知らずにストレスをためている女性をイメージしていました。

 編集者や営業の人の方針を聞こうとばかりすると、軸がブレてしまうこともあるので、読者を見失わないように心がけています。自分なりに思い描いた読者に届くようなリテイクで、方針に近づけられるようにしています。そうすることでブレが少なくなってきました。

「弱者のための本でありたい」

――佐藤さんは子どもの頃から本が好きだったんですか?

 私はあまり学校に行かないような生活をしてきました。家庭環境も複雑でしたし、高校生活もあまりうまくいかず、集団生活がうまくいった記憶が少ないです。単位も常にギリギリで卒業できたみたいな感じで。だからうまくいかなくて立ち止まったら本を開いて、その中から生き方を学んできました。

 若い時に読んだものだと、山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』やアゴタ・クリストフ『悪童日記』などですね。いかにマイナスの状況から這い上がっていくか、少数派である自分がいかに生きていくのかという知恵を学びました。とにかく考える。戦略と理由を自分なりに組み立てて、それを考えるための筋力をつけることができたような気がします。

 私にとって本は、社会的な弱者や、「普通」というものにのれずにうまくいかない人を支えるために開かれているものだと思います。それが私自身にも合っていました。だからブックデザイナーとなった今、過去の自分に届けるイメージで、今苦しんでいる人に届くような内容の作品は積極的に受けるようにしています。誰かの欲求を満たすだけの作品や、人を傷つける作品は受けないようにしています。

――ブックデザインをお仕事にしようと思ったのはどういうきっかけだったのでしょう?

 私は高校卒業後にデザインの専門学校に入学したんですが、1年で退学して、次の日から印刷所に「何でもいいので働かせてください」と駆け込みました。そこでやっていた広告制作にうまくなじめなくて、体力的にも精神的にもきつかった。顔の見えない人からのリテイクの依頼があること。徹夜して作ったのに一瞬で世間からなくなったりする刹那的なものであること。そこで2年働いた後は自費出版もしている出版社で働き始めたのですが、知識と経験不足で、自分が納得いくものができないために悩んでいて、突破口を探すために書店に通っていました。

 そんな時に祖父江慎さんが手がけるデザインの存在を知りました。書店で祖父江さんがデザインされた本が、本棚の中で抗っているように見えたんです。あきらかに異質でした。かわいいものもタフなものも、ものすごい強度で。それで、祖父江さんの講演会を調べては行くようになり、顔を覚えてもらうために楽屋に毎回訪ねて行って。「何かできることはありませんか?」とうかがったりしていました。

 ちょうどコズフィッシュ本(祖父江さんの作品集『祖父江慎+コズフィッシュ』2016年に刊行)を作っていた時で「人手が足りないからお手伝いお願いできますか」とお声かけいただき、仕事がない日にうかがうようになりました。それで1年半くらい本の撮影を見させていただいたり、当時の仕様書のスキャンをしたり、レイアウトのお手伝いをしたりしました。そんな日々のなかで祖父江さんがその時代に設計をした際の考え方を一冊一冊聞くことができました。

 個人的に感銘をうけたのは文字組みのことで「この組みは昭和何年のこの文字組みを踏襲している」「朝日新聞の明朝と毎日新聞の明朝はこんなふうに違う」など、惜しみなく教えてくださいました。それが自分の血肉になっているなと思います。

デザインを「文化として残す」

――そのコズフィッシュ本の制作がきっかけで、23歳の時にコズフィッシュに入ることになったんですね。入ってみてどうでしたか?

 もう今までと全然違いました。デザインがちゃんと文化として存在していることに本当にびっくりしました。それまではどこかで、デザインはお金を生み出すための一部のようなイメージでしたが、祖父江さんの事務所ではデザインを文化として残していくものだと捉えていました。実際、祖父江さんのデザインありきで進む案件も多かったですし、編集者からも強い敬意が感じられました。それぞれが対等な立場で二人三脚で作っていく印象でした。「まったく別世界に来た」と最初に感じました。

――8年間在籍されて、かなり大変な時期もあったそうですね。

 もう本当に超えられない壁が常に頭の上にある環境で、ずっと辛かったです。「どうしたらこんなデザインができるのか」と思うものばかりで、手の届かない人が常にいるみたいな。体力でも思考の仕方でも敵わない。でもその状況から逃げて腐っちゃダメだと思いました。

 本のデザインは先ほどお話ししたように、本文から造本設計からレイアウトまで、やることがとにかく多くて。文字の詰めなど本当に細かいところまで手を入れていきます。そんな、人が見て分かるかどうかという箇所に対して美意識を働かせるのは、とても楽しい時間でもあり、骨の折れる作業でもあります。睡眠時間が減っている状態で夜中までやっていると「これ誰のためにやってるんだろう」と思う時も正直ありました。美意識はなくてはならない大事なものなんですけど、それが自分を縛って仕事が膨大になることもあります。

 作業的なことを教わった先輩に夜遅くまで、デザインを講評してもらう時期があり、「こうしたらもっと良くなるんじゃない」などと言ってもらうんですけど、うまくできなくて、悔しくて悔しくて号泣して帰ったこともありました。

 でもとにかく一番きつい時にチャンスだと思わないと、その先でもっと大きいダメージがくるのが何となく分かっていました。一度そこに向き合っておかないと、自分に倍になって返ってくるような気がして。そこを越えた人を見て常に羨ましいと思い続ける人生になってしまうとか。「ここは耐えどころだな」と思って、8年間ぶつかり続けていました。

――直視して向き合うということですか?

 もう体当たりしていくみたいな感じで。逃げると自分の影だけが常に残るというか、凄く傷つくことだと思っていて。だから苦しくてもその先に何かあると思ってやる。友人に愚痴を言いながらも続ける。それは自分の力が足りなかったり、誰かを説得する力がなかったり、独立してやっていける自信がなかったからなんですけど。

 そんな時に友人から、彼が尊敬する人の言葉を教えてもらいました。「頑張って続けていれば、必ず誰かが見ててくれる」と。彼も常にタフな道を選ぶ人ですが、逃げずに攻めていく。すると必ず見ていてくれる人がいる。自分も書店で何人かの同業の人の仕事を見ると「このデザイナーさんいつも丁寧なお仕事されているな」と思うんです。細かいところまで手が入っているのが分かると感動します。だから精神的にきついときも「これは誰かに届くはずだ」と思って、歯を食いしばってやっています。

新しいものを生むために必要なこと

――佐藤さんは31歳の時にコズフィッシュを辞めて「サトウサンカイ」を設立していますね。独立したのはなぜでしょう?

 本当にわがままな理由で、自分の思う通りにやってみたくなったんです。それまでも十分自由にやらせていただいていましたが、生意気にも「責任も含めた自分なりのデザイン」をしたいと思うようになりました。今ではあの時の自分を「甘い!」と言って殴りたいですけれど。ちょうど私個人への依頼が2作続いて、それをきっかけに独立することになったのですが、過信も含めたわがままが大きな理由です。

――独立してみてどうでしたか?

 だいぶ贅沢な状況に身を置いていたのだと痛感しました。かけられる時間も、予算も、自由度も、何もかもが、コズフィッシュの無二のものでした。独立すると時間にも予算にも制約があることを改めて知りました。今までの2倍も3倍も引き受けないと食べていけない。そのスピード感があまりに違って、最初の頃は本当に辛かった。最初3年は無我夢中でした。


――今では30冊ほども同時に抱えているような状態だそうですね。今振り返ると祖父江さんから学んだことは何だったと思いますか?

 一番印象深いのは「大人」というのは虚構なんだということでした。場を弁えるとか「これは分かってなきゃいけない」と思うこととか。それは見栄であったり、常識と呼ばれる実態の明快ではないものであることも多い気がします。今までみてきた大人たちと祖父江さんの物事に対する物の見方や姿勢が違って見えました。

 実は「分からない」と言うほうが難しい。祖父江さんは打ち合わせで「これってどういう意味?」と誰もが知っていそうなことも、全然恥ずかしくなさそうに聞いたりするんです。でもそれは同時に「読者が分からない」ということを可視化する作業でもあるんです。自分がその部分を誤魔化さないことで読者目線のものができる。本当に素晴らしい姿勢だなと思いました。

 自分がゼロになった地点から見ることで、すごくクリアになります。そこに立ち返らないと、新しいものは生まれないということを勉強させてもらいました。

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